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当会推薦資料
初歩的な議論に時間や資源を使っていると、無駄が多いので、
情報を共有化し、最低限の基本を理解して頂く為に、
当会としての推薦図書・推薦サイト等の資料を、挙げておきたいと思います。
(全て敬称略)
『家族を蔑む人々』(林道義著)
『男女平等バカ』(野村旗守編)
『新・国民の油断』(西尾幹二・八木秀次共著)
『真っ当な日本人の育て方』(田下昌明著)
『愛があるから真っ向勝負』(長田百合子著)
『親心の喪失』(松居和著)
家庭教育再生機構 メールマガジン(長田百合子)
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kyouikusaisei/merumaga/merumaga.html
家族の絆を守る会 FAVS(岡本明子)
http://familyvalueofjapan.blog100.fc2.com/
のまりんの資料棚(野牧雅子)
http://constanze.at.webry.info/
反フェミニズムサイト(千葉展正)
http://homepage2.nifty.com/antifemi/
林道義のホームページ
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/
※基本的に、実名で活動している方のみを紹介します。
推薦資料ということで、なるべく厳選して行きたいと思います。
他にも良さそうな物があったら、お知らせ頂ければ幸いです。
(まほきゃすと)
「家庭教育シンポジウム」に、行ってきました。
>平成20年 4月19日(土)13:30~(開場 12:30 開演 13:30~16:30)
>東京ビッグサイト国際会議場(会議棟7F) 1000名
>◇「基調講演」田下昌明:「小児科医から見た提言」
>野口芳宏:「学校教師から見た提言」
>http://www.moralogy.jp/activity/event/2008KyouikuShinpo/index.html
>主催 (財)モラロジー研究所
>後援 文部科学省、東京都、日本教育再生機構、親学会、産経新聞社

1000人収容の大きな会議室は満員で、別の会議室にもモニターが設置され、
参加者が入っていました。

廣池幹堂氏(ひろいけもとたか、モラロジー研究所理事長)の挨拶。

基調講演 田下昌明氏(たしもまさあき、小児科医)
育児は3歳までは母親が重要、男女共同参画局やフェミニストは
詭弁を言っている、ということでした。

基調講演 野口芳宏氏(のぐちよしひろ、日本教育技術学会名誉会長)
家庭の本質は「安らぎ」、優しい妻や娘夫婦、孫がいれば、早く帰宅したくなる。
これを忘れて、素人が思いつきの「家庭教育」を始めるのが悪い、
ということでした。

第二部 トークセッション
司会は池辺祐三子氏(いけべゆみこ、モラロジー研究所柏生涯学習センター長)
田下氏 父親の役割は、12歳ぐらいになるまで子供の遊びに付き合ってやること。
母親では出来ないような危険な遊びを父親が受け持つ。
野口氏 反抗期には、父親が張り倒して、母親がなだめるのが美しい。
(その逆は子供の教育に良く無い)
田下氏 育児は労働では無い。子供と母親の人生の一部。
育児は崇高な行いなので、他(「女性の社会進出」の為の労働)と
比較すべきで無い。母を感謝、尊敬することが必要。
田下氏 父親の権威が落ちていることが、子供の自立を妨げている。
子供の前で、母親が父親を貶してはいけない。
(子供が、自分も駄目なんだと考えてしまう)
給料の銀行振り込みも良く無い。

閉会の挨拶 井上和行氏(いのうえかずゆき)
以上、かなり端折って紹介させて頂きました。
(まほきゃすと)
>東京ビッグサイト国際会議場(会議棟7F) 1000名
>◇「基調講演」田下昌明:「小児科医から見た提言」
>野口芳宏:「学校教師から見た提言」
>http://www.moralogy.jp/activity/event/2008KyouikuShinpo/index.html
>主催 (財)モラロジー研究所
>後援 文部科学省、東京都、日本教育再生機構、親学会、産経新聞社

1000人収容の大きな会議室は満員で、別の会議室にもモニターが設置され、
参加者が入っていました。

廣池幹堂氏(ひろいけもとたか、モラロジー研究所理事長)の挨拶。

基調講演 田下昌明氏(たしもまさあき、小児科医)
育児は3歳までは母親が重要、男女共同参画局やフェミニストは
詭弁を言っている、ということでした。

基調講演 野口芳宏氏(のぐちよしひろ、日本教育技術学会名誉会長)
家庭の本質は「安らぎ」、優しい妻や娘夫婦、孫がいれば、早く帰宅したくなる。
これを忘れて、素人が思いつきの「家庭教育」を始めるのが悪い、
ということでした。

第二部 トークセッション
司会は池辺祐三子氏(いけべゆみこ、モラロジー研究所柏生涯学習センター長)
田下氏 父親の役割は、12歳ぐらいになるまで子供の遊びに付き合ってやること。
母親では出来ないような危険な遊びを父親が受け持つ。
野口氏 反抗期には、父親が張り倒して、母親がなだめるのが美しい。
(その逆は子供の教育に良く無い)
田下氏 育児は労働では無い。子供と母親の人生の一部。
育児は崇高な行いなので、他(「女性の社会進出」の為の労働)と
比較すべきで無い。母を感謝、尊敬することが必要。
田下氏 父親の権威が落ちていることが、子供の自立を妨げている。
子供の前で、母親が父親を貶してはいけない。
(子供が、自分も駄目なんだと考えてしまう)
給料の銀行振り込みも良く無い。

閉会の挨拶 井上和行氏(いのうえかずゆき)
以上、かなり端折って紹介させて頂きました。
(まほきゃすと)
第11回
差別的テレビCM2
泣きながらフライドチキンを買いに行く父親(ケンタッキーフライドチキン、2006年3月)
仕事を終え、帰宅した男(佐伯 新)の目に映ったのは、フライドチキンにかぶりつく妻と子供の姿だった。
彼女は、帰宅した夫に「お帰りなさい。」とも言わず、ひたすら目の前のニワトリを食べ続ける。「俺の分は
?」と聞かれても無視である。
結局、男の分のフライドチキンは用意されておらず、彼は自分の夕食を自転車で買いに行くのだ。
状況から察するに、この女性は専業主婦か、若しくはパート主婦という設定であろう。(その証拠に、仕事関
係の場面が全く無い)また、子供が一緒に夕食をとっていたということは、時間帯が夕食時であり、決してベロ
ンベロンに酔っ払った男が深夜に帰宅。というわけでもなさそうである。
結論から言うと、このCMは「既婚男性」と「専業主婦」の両方をバカにしているのだ。
あのCMを見て「ああ、専業主婦だって家事、育児を頑張っているんだな。」と感じるような阿呆はおそらく
ほとんどいまい。「賎業主婦」なる造語のイメージを完全に後押ししている。
一家の生活を支えている夫に対して簡単な夕食すら提供せず、声の一つもかけないという映像からは、男たち
はもはや全く敬意を払われるべき存在ではなくなっているという印象を受ける。
最低限の礼儀すらわきまえない人間の屑と、そんな相手と結婚してしまった見る目の無い男の作り出した悲惨
な家庭をギャグ扱いでゴールデンタイムに流せるのだからケンタッキーもいい度胸である。女子供を笑わせるため
に男たちを小バカにする姿勢を、企業のCM担当者は何とも思わなかったのであろうか?
日本の企業にまっとうなモラルが戻ることを、著者はこの国の為に願ってやまない。
差別的テレビCM2
泣きながらフライドチキンを買いに行く父親(ケンタッキーフライドチキン、2006年3月)
仕事を終え、帰宅した男(佐伯 新)の目に映ったのは、フライドチキンにかぶりつく妻と子供の姿だった。
彼女は、帰宅した夫に「お帰りなさい。」とも言わず、ひたすら目の前のニワトリを食べ続ける。「俺の分は
?」と聞かれても無視である。
結局、男の分のフライドチキンは用意されておらず、彼は自分の夕食を自転車で買いに行くのだ。
状況から察するに、この女性は専業主婦か、若しくはパート主婦という設定であろう。(その証拠に、仕事関
係の場面が全く無い)また、子供が一緒に夕食をとっていたということは、時間帯が夕食時であり、決してベロ
ンベロンに酔っ払った男が深夜に帰宅。というわけでもなさそうである。
結論から言うと、このCMは「既婚男性」と「専業主婦」の両方をバカにしているのだ。
あのCMを見て「ああ、専業主婦だって家事、育児を頑張っているんだな。」と感じるような阿呆はおそらく
ほとんどいまい。「賎業主婦」なる造語のイメージを完全に後押ししている。
一家の生活を支えている夫に対して簡単な夕食すら提供せず、声の一つもかけないという映像からは、男たち
はもはや全く敬意を払われるべき存在ではなくなっているという印象を受ける。
最低限の礼儀すらわきまえない人間の屑と、そんな相手と結婚してしまった見る目の無い男の作り出した悲惨
な家庭をギャグ扱いでゴールデンタイムに流せるのだからケンタッキーもいい度胸である。女子供を笑わせるため
に男たちを小バカにする姿勢を、企業のCM担当者は何とも思わなかったのであろうか?
日本の企業にまっとうなモラルが戻ることを、著者はこの国の為に願ってやまない。
第10回
差別的テレビCM
「私作る人、ボク食べる人」
これを聞いて、ラーメンのCMを思い浮かべた貴方は、既に若者ではありません。
(笑:ここで笑わないと、笑うところはありません。)
これは、一説によるとフェミニストの抗議によって放送が中止されたといわれて
いる、かれこれ20年以上前のラーメンのCMにあったキャッチフレーズである。
「女が料理作って、男がそれを食べるというのは伝統的な性別役割分担に基づく
女性差別である」と、当時のフェミニストは主張しており、「何言ってんだよ、そ
の代わり女は荷物運びしなくていいじゃないか。」と、当時まだ少年だった著者は
思った記憶がある。
(学校でも、重労働は男子児童だけがやっていた。)
さて、このCMがフェミニストの抗議によって中止されたかどうかは、残念ながら
著者には分からなかった。しかし、もしそうだとしてもそれは企業の倫理観を示す
ものでは全くなく、「うるさいから言うことを聞いておこう」という、いわば株主
総会前に総会屋に金を渡すのと同じ発想で事態を乗り切ったことは明らかである。
なぜなら、もし企業がフェミニスト達の抗議を本当に理解し、共感していたならば、
これからご紹介するCMは誕生しなかったはずだからだ。
所詮、企業なんてこんなモンである。社会的正義よりも揉め事を予防することの
ほうが重要なのだ。そして、「男女平等というのは名ばかりで、彼らの正体は女性
優遇論者に過ぎない」という企業の読みは不幸にして当たっていたのである。数々の
男性差別CMに対して、男女平等を主張していたはずのフェミニスト団体が声を上げた。
という話は寡聞にして知らない。
「男の人ってダメですね。」 (セキスイハイム 2006年)
仲の良い夫婦(あるいはカップル)が、朝もやの立ち込める市場でかぼちゃを買う
シーンである。
丸ごと1個を買おうとしたハイムさん(阿部 寛)に対して、相手の女性(原 沙
知絵)が4分の1にカットされたものを買う。「食べきれる量だけ買う」と言うことで、
節約をアピールしているのだろう。ここで女性が冒頭のセリフをはくのだ。
基本的には微笑ましいワンシーンであり、決して男性をコテンパンに罵倒している
内容ではない。しかし、微笑ましいから構わないというのであれば、20年以上前の
ラーメンのCMだって非難されるいわれは無いのだ。
そもそも、カット野菜は日持ちがしないうえに割高である。丸ごと1個を買って、
数日間でちゃんと食べきるのが最も合理的な消費の仕方であろう。材料をちゃんと
使い切る献立を考えれば済むことである。
大体、かぼちゃ1個を買おうとしたくらいでどうしてハイムさんは男性の代表と
してダメ呼ばわりされなければならないのか?この程度でダメならば、指輪のプレ
ゼントをもらって「今日だけじゃイヤ」とか言ってるバカ女(ANA 2006年)は一体
どうなるのか?
「何言ってんだよ?たまにプレゼントするから価値があるんじゃないか。女って
バカだなあ・・・」とかいうセリフを相手の男に是非言ってほしいものだが、しかし
そんなCMが作られる事は絶対に無いのだ。
差別的テレビCM
「私作る人、ボク食べる人」
これを聞いて、ラーメンのCMを思い浮かべた貴方は、既に若者ではありません。
(笑:ここで笑わないと、笑うところはありません。)
これは、一説によるとフェミニストの抗議によって放送が中止されたといわれて
いる、かれこれ20年以上前のラーメンのCMにあったキャッチフレーズである。
「女が料理作って、男がそれを食べるというのは伝統的な性別役割分担に基づく
女性差別である」と、当時のフェミニストは主張しており、「何言ってんだよ、そ
の代わり女は荷物運びしなくていいじゃないか。」と、当時まだ少年だった著者は
思った記憶がある。
(学校でも、重労働は男子児童だけがやっていた。)
さて、このCMがフェミニストの抗議によって中止されたかどうかは、残念ながら
著者には分からなかった。しかし、もしそうだとしてもそれは企業の倫理観を示す
ものでは全くなく、「うるさいから言うことを聞いておこう」という、いわば株主
総会前に総会屋に金を渡すのと同じ発想で事態を乗り切ったことは明らかである。
なぜなら、もし企業がフェミニスト達の抗議を本当に理解し、共感していたならば、
これからご紹介するCMは誕生しなかったはずだからだ。
所詮、企業なんてこんなモンである。社会的正義よりも揉め事を予防することの
ほうが重要なのだ。そして、「男女平等というのは名ばかりで、彼らの正体は女性
優遇論者に過ぎない」という企業の読みは不幸にして当たっていたのである。数々の
男性差別CMに対して、男女平等を主張していたはずのフェミニスト団体が声を上げた。
という話は寡聞にして知らない。
「男の人ってダメですね。」 (セキスイハイム 2006年)
仲の良い夫婦(あるいはカップル)が、朝もやの立ち込める市場でかぼちゃを買う
シーンである。
丸ごと1個を買おうとしたハイムさん(阿部 寛)に対して、相手の女性(原 沙
知絵)が4分の1にカットされたものを買う。「食べきれる量だけ買う」と言うことで、
節約をアピールしているのだろう。ここで女性が冒頭のセリフをはくのだ。
基本的には微笑ましいワンシーンであり、決して男性をコテンパンに罵倒している
内容ではない。しかし、微笑ましいから構わないというのであれば、20年以上前の
ラーメンのCMだって非難されるいわれは無いのだ。
そもそも、カット野菜は日持ちがしないうえに割高である。丸ごと1個を買って、
数日間でちゃんと食べきるのが最も合理的な消費の仕方であろう。材料をちゃんと
使い切る献立を考えれば済むことである。
大体、かぼちゃ1個を買おうとしたくらいでどうしてハイムさんは男性の代表と
してダメ呼ばわりされなければならないのか?この程度でダメならば、指輪のプレ
ゼントをもらって「今日だけじゃイヤ」とか言ってるバカ女(ANA 2006年)は一体
どうなるのか?
「何言ってんだよ?たまにプレゼントするから価値があるんじゃないか。女って
バカだなあ・・・」とかいうセリフを相手の男に是非言ってほしいものだが、しかし
そんなCMが作られる事は絶対に無いのだ。
第9回
「御殿場事件」
2002年9月16日、ある女子高生が「婦女暴行を受けた」と警察に訴えた。ここに、
その時の女子高生の供述内容を示すので、よく記憶しておいていただきたい。
1.被害を受けた時刻は9月16日の20時20分から23時ごろ。
2.最初は、御殿場駅から出たところで2人の男に連れて行かれ、そのうち男たちは10人
ほどに増えた。
3.脅されて、母親に嘘の電話を入れた。
4.暴行は一時間あまり続き、24時過ぎに帰宅した。
警察は、彼女の供述で名前が挙がった1名を逮捕、さらに彼の友人9名を次々に逮捕した。
(最初に逮捕された彼は、友人の名前を聞かれ、それに答えただけである)
このとき、迅速に逮捕した警察は、一方で(1時間に渡って乱暴されたはずの)被害者側の
物証は全く押さえておらず、しかも被害者からは診断書の提出もなかったという。
この時点で相当に冤罪臭いが、女性側の被害申し出は絶対だと信じ込んでしまったのか、警察
は言葉の暴力を駆使して10人の少年たちから自白を引き出すことに成功する。
ところが、後になって少年達の口から冤罪であることを聞かされた親達が黙ってはいなかった。
我が子を案じる彼らがアリバイ探しに奔走した結果、次のことが分かったのだ。
1.容疑者のうち一人は、9月16日に友人達と飲みに行っており、(その友人は配席や注文内容
まで覚えていた)現場に足を運んではいない。
2.また、別の容疑者は当日、現場から3km離れた場所でアルバイトをしていた。ちなみに9月
16日のタイムカードによると、彼が仕事を終えたのは20時24分。
3.彼女は母親に電話した16秒後、別の相手(男性会社員)に電話をしている。しかも、この会社員
の証言によると、出会い系サイトで知り合った女子高生と、9月16日の21時15分頃に会い、最
低でも3時間は一緒にいたという。
この件で嘘はつけないと観念したのか、女子高生も出会い系サイトの1件は認めている。
さて、通常ならこれでめでたしめでたし。今度は脅迫まがいの取調べで嘘の供述調書をとった警察と、
でっち上げの被害届けを出した女子高生が訴えられる番になるはずである。
しかし、事件はこれでは終わらなかった。
女子高生は、「事件があったのは、本当は9月9日です」と供述内容を変更したのだ。
日付以外にも、次のように供述は変わっている。
1.声を掛けられたのがうれしくて自分からついていった。
2.母親に電話などしていない。
確か、供述調書は日付、場所、犯行内容、状況などが書かれるはずである。つまり警察のとった自白
調書は、「私は、9月16日に・・・」という内容であるはずなのだ。
性犯罪の証文がタダの紙切れに変わった瞬間であったが、女が勝つなら真実などはどうでも良いと思
ったのか、高橋祥子裁判長はなんの調査もなしに犯行日の変更を認めてしまった。
賢明なる読者の皆さんには考えずとも分かるであろうが、大体、10人もの男たちに強姦された日を、
被害者が1週間も間違うことなどあるだろうか?
「嘘付け!」と一蹴するのが常識人の感覚であろう。
さらに、この日(9月9日)は1時間におよそ3mmの降雨量を、現場から500m離れた「富士山
測候所御殿場基地」が記録している。別に小雨ではない。通常規模の雨である。彼女は、「雨は降って
いなかった」と言っているのだが・・・
これだけの怪しい経緯と反証材料が揃っていながら、2005年10月27日の一審判決で、裁判長
の姉川博之氏は少年達に「実刑2年」という驚くべき判決を下した。これで有罪になるのなら、世の中
の全ての男性は性犯罪の容疑者になり得る。
忘れてはならない。10人の少年達は「犯罪者」ではなく、「女権国家による魔女狩りの
犠牲者」なのである。
「御殿場事件」
2002年9月16日、ある女子高生が「婦女暴行を受けた」と警察に訴えた。ここに、
その時の女子高生の供述内容を示すので、よく記憶しておいていただきたい。
1.被害を受けた時刻は9月16日の20時20分から23時ごろ。
2.最初は、御殿場駅から出たところで2人の男に連れて行かれ、そのうち男たちは10人
ほどに増えた。
3.脅されて、母親に嘘の電話を入れた。
4.暴行は一時間あまり続き、24時過ぎに帰宅した。
警察は、彼女の供述で名前が挙がった1名を逮捕、さらに彼の友人9名を次々に逮捕した。
(最初に逮捕された彼は、友人の名前を聞かれ、それに答えただけである)
このとき、迅速に逮捕した警察は、一方で(1時間に渡って乱暴されたはずの)被害者側の
物証は全く押さえておらず、しかも被害者からは診断書の提出もなかったという。
この時点で相当に冤罪臭いが、女性側の被害申し出は絶対だと信じ込んでしまったのか、警察
は言葉の暴力を駆使して10人の少年たちから自白を引き出すことに成功する。
ところが、後になって少年達の口から冤罪であることを聞かされた親達が黙ってはいなかった。
我が子を案じる彼らがアリバイ探しに奔走した結果、次のことが分かったのだ。
1.容疑者のうち一人は、9月16日に友人達と飲みに行っており、(その友人は配席や注文内容
まで覚えていた)現場に足を運んではいない。
2.また、別の容疑者は当日、現場から3km離れた場所でアルバイトをしていた。ちなみに9月
16日のタイムカードによると、彼が仕事を終えたのは20時24分。
3.彼女は母親に電話した16秒後、別の相手(男性会社員)に電話をしている。しかも、この会社員
の証言によると、出会い系サイトで知り合った女子高生と、9月16日の21時15分頃に会い、最
低でも3時間は一緒にいたという。
この件で嘘はつけないと観念したのか、女子高生も出会い系サイトの1件は認めている。
さて、通常ならこれでめでたしめでたし。今度は脅迫まがいの取調べで嘘の供述調書をとった警察と、
でっち上げの被害届けを出した女子高生が訴えられる番になるはずである。
しかし、事件はこれでは終わらなかった。
女子高生は、「事件があったのは、本当は9月9日です」と供述内容を変更したのだ。
日付以外にも、次のように供述は変わっている。
1.声を掛けられたのがうれしくて自分からついていった。
2.母親に電話などしていない。
確か、供述調書は日付、場所、犯行内容、状況などが書かれるはずである。つまり警察のとった自白
調書は、「私は、9月16日に・・・」という内容であるはずなのだ。
性犯罪の証文がタダの紙切れに変わった瞬間であったが、女が勝つなら真実などはどうでも良いと思
ったのか、高橋祥子裁判長はなんの調査もなしに犯行日の変更を認めてしまった。
賢明なる読者の皆さんには考えずとも分かるであろうが、大体、10人もの男たちに強姦された日を、
被害者が1週間も間違うことなどあるだろうか?
「嘘付け!」と一蹴するのが常識人の感覚であろう。
さらに、この日(9月9日)は1時間におよそ3mmの降雨量を、現場から500m離れた「富士山
測候所御殿場基地」が記録している。別に小雨ではない。通常規模の雨である。彼女は、「雨は降って
いなかった」と言っているのだが・・・
これだけの怪しい経緯と反証材料が揃っていながら、2005年10月27日の一審判決で、裁判長
の姉川博之氏は少年達に「実刑2年」という驚くべき判決を下した。これで有罪になるのなら、世の中
の全ての男性は性犯罪の容疑者になり得る。
忘れてはならない。10人の少年達は「犯罪者」ではなく、「女権国家による魔女狩りの
犠牲者」なのである。