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第11回
差別的テレビCM2
泣きながらフライドチキンを買いに行く父親(ケンタッキーフライドチキン、2006年3月)
仕事を終え、帰宅した男(佐伯 新)の目に映ったのは、フライドチキンにかぶりつく妻と子供の姿だった。
彼女は、帰宅した夫に「お帰りなさい。」とも言わず、ひたすら目の前のニワトリを食べ続ける。「俺の分は
?」と聞かれても無視である。
結局、男の分のフライドチキンは用意されておらず、彼は自分の夕食を自転車で買いに行くのだ。
状況から察するに、この女性は専業主婦か、若しくはパート主婦という設定であろう。(その証拠に、仕事関
係の場面が全く無い)また、子供が一緒に夕食をとっていたということは、時間帯が夕食時であり、決してベロ
ンベロンに酔っ払った男が深夜に帰宅。というわけでもなさそうである。
結論から言うと、このCMは「既婚男性」と「専業主婦」の両方をバカにしているのだ。
あのCMを見て「ああ、専業主婦だって家事、育児を頑張っているんだな。」と感じるような阿呆はおそらく
ほとんどいまい。「賎業主婦」なる造語のイメージを完全に後押ししている。
一家の生活を支えている夫に対して簡単な夕食すら提供せず、声の一つもかけないという映像からは、男たち
はもはや全く敬意を払われるべき存在ではなくなっているという印象を受ける。
最低限の礼儀すらわきまえない人間の屑と、そんな相手と結婚してしまった見る目の無い男の作り出した悲惨
な家庭をギャグ扱いでゴールデンタイムに流せるのだからケンタッキーもいい度胸である。女子供を笑わせるため
に男たちを小バカにする姿勢を、企業のCM担当者は何とも思わなかったのであろうか?
日本の企業にまっとうなモラルが戻ることを、著者はこの国の為に願ってやまない。
差別的テレビCM2
泣きながらフライドチキンを買いに行く父親(ケンタッキーフライドチキン、2006年3月)
仕事を終え、帰宅した男(佐伯 新)の目に映ったのは、フライドチキンにかぶりつく妻と子供の姿だった。
彼女は、帰宅した夫に「お帰りなさい。」とも言わず、ひたすら目の前のニワトリを食べ続ける。「俺の分は
?」と聞かれても無視である。
結局、男の分のフライドチキンは用意されておらず、彼は自分の夕食を自転車で買いに行くのだ。
状況から察するに、この女性は専業主婦か、若しくはパート主婦という設定であろう。(その証拠に、仕事関
係の場面が全く無い)また、子供が一緒に夕食をとっていたということは、時間帯が夕食時であり、決してベロ
ンベロンに酔っ払った男が深夜に帰宅。というわけでもなさそうである。
結論から言うと、このCMは「既婚男性」と「専業主婦」の両方をバカにしているのだ。
あのCMを見て「ああ、専業主婦だって家事、育児を頑張っているんだな。」と感じるような阿呆はおそらく
ほとんどいまい。「賎業主婦」なる造語のイメージを完全に後押ししている。
一家の生活を支えている夫に対して簡単な夕食すら提供せず、声の一つもかけないという映像からは、男たち
はもはや全く敬意を払われるべき存在ではなくなっているという印象を受ける。
最低限の礼儀すらわきまえない人間の屑と、そんな相手と結婚してしまった見る目の無い男の作り出した悲惨
な家庭をギャグ扱いでゴールデンタイムに流せるのだからケンタッキーもいい度胸である。女子供を笑わせるため
に男たちを小バカにする姿勢を、企業のCM担当者は何とも思わなかったのであろうか?
日本の企業にまっとうなモラルが戻ることを、著者はこの国の為に願ってやまない。
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第10回
差別的テレビCM
「私作る人、ボク食べる人」
これを聞いて、ラーメンのCMを思い浮かべた貴方は、既に若者ではありません。
(笑:ここで笑わないと、笑うところはありません。)
これは、一説によるとフェミニストの抗議によって放送が中止されたといわれて
いる、かれこれ20年以上前のラーメンのCMにあったキャッチフレーズである。
「女が料理作って、男がそれを食べるというのは伝統的な性別役割分担に基づく
女性差別である」と、当時のフェミニストは主張しており、「何言ってんだよ、そ
の代わり女は荷物運びしなくていいじゃないか。」と、当時まだ少年だった著者は
思った記憶がある。
(学校でも、重労働は男子児童だけがやっていた。)
さて、このCMがフェミニストの抗議によって中止されたかどうかは、残念ながら
著者には分からなかった。しかし、もしそうだとしてもそれは企業の倫理観を示す
ものでは全くなく、「うるさいから言うことを聞いておこう」という、いわば株主
総会前に総会屋に金を渡すのと同じ発想で事態を乗り切ったことは明らかである。
なぜなら、もし企業がフェミニスト達の抗議を本当に理解し、共感していたならば、
これからご紹介するCMは誕生しなかったはずだからだ。
所詮、企業なんてこんなモンである。社会的正義よりも揉め事を予防することの
ほうが重要なのだ。そして、「男女平等というのは名ばかりで、彼らの正体は女性
優遇論者に過ぎない」という企業の読みは不幸にして当たっていたのである。数々の
男性差別CMに対して、男女平等を主張していたはずのフェミニスト団体が声を上げた。
という話は寡聞にして知らない。
「男の人ってダメですね。」 (セキスイハイム 2006年)
仲の良い夫婦(あるいはカップル)が、朝もやの立ち込める市場でかぼちゃを買う
シーンである。
丸ごと1個を買おうとしたハイムさん(阿部 寛)に対して、相手の女性(原 沙
知絵)が4分の1にカットされたものを買う。「食べきれる量だけ買う」と言うことで、
節約をアピールしているのだろう。ここで女性が冒頭のセリフをはくのだ。
基本的には微笑ましいワンシーンであり、決して男性をコテンパンに罵倒している
内容ではない。しかし、微笑ましいから構わないというのであれば、20年以上前の
ラーメンのCMだって非難されるいわれは無いのだ。
そもそも、カット野菜は日持ちがしないうえに割高である。丸ごと1個を買って、
数日間でちゃんと食べきるのが最も合理的な消費の仕方であろう。材料をちゃんと
使い切る献立を考えれば済むことである。
大体、かぼちゃ1個を買おうとしたくらいでどうしてハイムさんは男性の代表と
してダメ呼ばわりされなければならないのか?この程度でダメならば、指輪のプレ
ゼントをもらって「今日だけじゃイヤ」とか言ってるバカ女(ANA 2006年)は一体
どうなるのか?
「何言ってんだよ?たまにプレゼントするから価値があるんじゃないか。女って
バカだなあ・・・」とかいうセリフを相手の男に是非言ってほしいものだが、しかし
そんなCMが作られる事は絶対に無いのだ。
差別的テレビCM
「私作る人、ボク食べる人」
これを聞いて、ラーメンのCMを思い浮かべた貴方は、既に若者ではありません。
(笑:ここで笑わないと、笑うところはありません。)
これは、一説によるとフェミニストの抗議によって放送が中止されたといわれて
いる、かれこれ20年以上前のラーメンのCMにあったキャッチフレーズである。
「女が料理作って、男がそれを食べるというのは伝統的な性別役割分担に基づく
女性差別である」と、当時のフェミニストは主張しており、「何言ってんだよ、そ
の代わり女は荷物運びしなくていいじゃないか。」と、当時まだ少年だった著者は
思った記憶がある。
(学校でも、重労働は男子児童だけがやっていた。)
さて、このCMがフェミニストの抗議によって中止されたかどうかは、残念ながら
著者には分からなかった。しかし、もしそうだとしてもそれは企業の倫理観を示す
ものでは全くなく、「うるさいから言うことを聞いておこう」という、いわば株主
総会前に総会屋に金を渡すのと同じ発想で事態を乗り切ったことは明らかである。
なぜなら、もし企業がフェミニスト達の抗議を本当に理解し、共感していたならば、
これからご紹介するCMは誕生しなかったはずだからだ。
所詮、企業なんてこんなモンである。社会的正義よりも揉め事を予防することの
ほうが重要なのだ。そして、「男女平等というのは名ばかりで、彼らの正体は女性
優遇論者に過ぎない」という企業の読みは不幸にして当たっていたのである。数々の
男性差別CMに対して、男女平等を主張していたはずのフェミニスト団体が声を上げた。
という話は寡聞にして知らない。
「男の人ってダメですね。」 (セキスイハイム 2006年)
仲の良い夫婦(あるいはカップル)が、朝もやの立ち込める市場でかぼちゃを買う
シーンである。
丸ごと1個を買おうとしたハイムさん(阿部 寛)に対して、相手の女性(原 沙
知絵)が4分の1にカットされたものを買う。「食べきれる量だけ買う」と言うことで、
節約をアピールしているのだろう。ここで女性が冒頭のセリフをはくのだ。
基本的には微笑ましいワンシーンであり、決して男性をコテンパンに罵倒している
内容ではない。しかし、微笑ましいから構わないというのであれば、20年以上前の
ラーメンのCMだって非難されるいわれは無いのだ。
そもそも、カット野菜は日持ちがしないうえに割高である。丸ごと1個を買って、
数日間でちゃんと食べきるのが最も合理的な消費の仕方であろう。材料をちゃんと
使い切る献立を考えれば済むことである。
大体、かぼちゃ1個を買おうとしたくらいでどうしてハイムさんは男性の代表と
してダメ呼ばわりされなければならないのか?この程度でダメならば、指輪のプレ
ゼントをもらって「今日だけじゃイヤ」とか言ってるバカ女(ANA 2006年)は一体
どうなるのか?
「何言ってんだよ?たまにプレゼントするから価値があるんじゃないか。女って
バカだなあ・・・」とかいうセリフを相手の男に是非言ってほしいものだが、しかし
そんなCMが作られる事は絶対に無いのだ。
第9回
「御殿場事件」
2002年9月16日、ある女子高生が「婦女暴行を受けた」と警察に訴えた。ここに、
その時の女子高生の供述内容を示すので、よく記憶しておいていただきたい。
1.被害を受けた時刻は9月16日の20時20分から23時ごろ。
2.最初は、御殿場駅から出たところで2人の男に連れて行かれ、そのうち男たちは10人
ほどに増えた。
3.脅されて、母親に嘘の電話を入れた。
4.暴行は一時間あまり続き、24時過ぎに帰宅した。
警察は、彼女の供述で名前が挙がった1名を逮捕、さらに彼の友人9名を次々に逮捕した。
(最初に逮捕された彼は、友人の名前を聞かれ、それに答えただけである)
このとき、迅速に逮捕した警察は、一方で(1時間に渡って乱暴されたはずの)被害者側の
物証は全く押さえておらず、しかも被害者からは診断書の提出もなかったという。
この時点で相当に冤罪臭いが、女性側の被害申し出は絶対だと信じ込んでしまったのか、警察
は言葉の暴力を駆使して10人の少年たちから自白を引き出すことに成功する。
ところが、後になって少年達の口から冤罪であることを聞かされた親達が黙ってはいなかった。
我が子を案じる彼らがアリバイ探しに奔走した結果、次のことが分かったのだ。
1.容疑者のうち一人は、9月16日に友人達と飲みに行っており、(その友人は配席や注文内容
まで覚えていた)現場に足を運んではいない。
2.また、別の容疑者は当日、現場から3km離れた場所でアルバイトをしていた。ちなみに9月
16日のタイムカードによると、彼が仕事を終えたのは20時24分。
3.彼女は母親に電話した16秒後、別の相手(男性会社員)に電話をしている。しかも、この会社員
の証言によると、出会い系サイトで知り合った女子高生と、9月16日の21時15分頃に会い、最
低でも3時間は一緒にいたという。
この件で嘘はつけないと観念したのか、女子高生も出会い系サイトの1件は認めている。
さて、通常ならこれでめでたしめでたし。今度は脅迫まがいの取調べで嘘の供述調書をとった警察と、
でっち上げの被害届けを出した女子高生が訴えられる番になるはずである。
しかし、事件はこれでは終わらなかった。
女子高生は、「事件があったのは、本当は9月9日です」と供述内容を変更したのだ。
日付以外にも、次のように供述は変わっている。
1.声を掛けられたのがうれしくて自分からついていった。
2.母親に電話などしていない。
確か、供述調書は日付、場所、犯行内容、状況などが書かれるはずである。つまり警察のとった自白
調書は、「私は、9月16日に・・・」という内容であるはずなのだ。
性犯罪の証文がタダの紙切れに変わった瞬間であったが、女が勝つなら真実などはどうでも良いと思
ったのか、高橋祥子裁判長はなんの調査もなしに犯行日の変更を認めてしまった。
賢明なる読者の皆さんには考えずとも分かるであろうが、大体、10人もの男たちに強姦された日を、
被害者が1週間も間違うことなどあるだろうか?
「嘘付け!」と一蹴するのが常識人の感覚であろう。
さらに、この日(9月9日)は1時間におよそ3mmの降雨量を、現場から500m離れた「富士山
測候所御殿場基地」が記録している。別に小雨ではない。通常規模の雨である。彼女は、「雨は降って
いなかった」と言っているのだが・・・
これだけの怪しい経緯と反証材料が揃っていながら、2005年10月27日の一審判決で、裁判長
の姉川博之氏は少年達に「実刑2年」という驚くべき判決を下した。これで有罪になるのなら、世の中
の全ての男性は性犯罪の容疑者になり得る。
忘れてはならない。10人の少年達は「犯罪者」ではなく、「女権国家による魔女狩りの
犠牲者」なのである。
「御殿場事件」
2002年9月16日、ある女子高生が「婦女暴行を受けた」と警察に訴えた。ここに、
その時の女子高生の供述内容を示すので、よく記憶しておいていただきたい。
1.被害を受けた時刻は9月16日の20時20分から23時ごろ。
2.最初は、御殿場駅から出たところで2人の男に連れて行かれ、そのうち男たちは10人
ほどに増えた。
3.脅されて、母親に嘘の電話を入れた。
4.暴行は一時間あまり続き、24時過ぎに帰宅した。
警察は、彼女の供述で名前が挙がった1名を逮捕、さらに彼の友人9名を次々に逮捕した。
(最初に逮捕された彼は、友人の名前を聞かれ、それに答えただけである)
このとき、迅速に逮捕した警察は、一方で(1時間に渡って乱暴されたはずの)被害者側の
物証は全く押さえておらず、しかも被害者からは診断書の提出もなかったという。
この時点で相当に冤罪臭いが、女性側の被害申し出は絶対だと信じ込んでしまったのか、警察
は言葉の暴力を駆使して10人の少年たちから自白を引き出すことに成功する。
ところが、後になって少年達の口から冤罪であることを聞かされた親達が黙ってはいなかった。
我が子を案じる彼らがアリバイ探しに奔走した結果、次のことが分かったのだ。
1.容疑者のうち一人は、9月16日に友人達と飲みに行っており、(その友人は配席や注文内容
まで覚えていた)現場に足を運んではいない。
2.また、別の容疑者は当日、現場から3km離れた場所でアルバイトをしていた。ちなみに9月
16日のタイムカードによると、彼が仕事を終えたのは20時24分。
3.彼女は母親に電話した16秒後、別の相手(男性会社員)に電話をしている。しかも、この会社員
の証言によると、出会い系サイトで知り合った女子高生と、9月16日の21時15分頃に会い、最
低でも3時間は一緒にいたという。
この件で嘘はつけないと観念したのか、女子高生も出会い系サイトの1件は認めている。
さて、通常ならこれでめでたしめでたし。今度は脅迫まがいの取調べで嘘の供述調書をとった警察と、
でっち上げの被害届けを出した女子高生が訴えられる番になるはずである。
しかし、事件はこれでは終わらなかった。
女子高生は、「事件があったのは、本当は9月9日です」と供述内容を変更したのだ。
日付以外にも、次のように供述は変わっている。
1.声を掛けられたのがうれしくて自分からついていった。
2.母親に電話などしていない。
確か、供述調書は日付、場所、犯行内容、状況などが書かれるはずである。つまり警察のとった自白
調書は、「私は、9月16日に・・・」という内容であるはずなのだ。
性犯罪の証文がタダの紙切れに変わった瞬間であったが、女が勝つなら真実などはどうでも良いと思
ったのか、高橋祥子裁判長はなんの調査もなしに犯行日の変更を認めてしまった。
賢明なる読者の皆さんには考えずとも分かるであろうが、大体、10人もの男たちに強姦された日を、
被害者が1週間も間違うことなどあるだろうか?
「嘘付け!」と一蹴するのが常識人の感覚であろう。
さらに、この日(9月9日)は1時間におよそ3mmの降雨量を、現場から500m離れた「富士山
測候所御殿場基地」が記録している。別に小雨ではない。通常規模の雨である。彼女は、「雨は降って
いなかった」と言っているのだが・・・
これだけの怪しい経緯と反証材料が揃っていながら、2005年10月27日の一審判決で、裁判長
の姉川博之氏は少年達に「実刑2年」という驚くべき判決を下した。これで有罪になるのなら、世の中
の全ての男性は性犯罪の容疑者になり得る。
忘れてはならない。10人の少年達は「犯罪者」ではなく、「女権国家による魔女狩りの
犠牲者」なのである。
第8回
司法制度に見られる男性差別1
この国の女性優遇振りは立法や行政に留まらない。司法においても、「女性優遇」精神は、
他の二権に対していささかも引けをとっていない。そのような意味においては、わが国の
三権は、見事な三位一体を形成しているのだ。
「行列の出来る法律相談所」という番組をご存知だろうか?一読しただけでは正否が分からない法律上の争いごとについて、4人の弁護士がそれぞれに見解を示す。という内容の、島田伸介氏が司会を務める人気番組である。
ある時、(2006年の初めごろだったと思うが定かではない)同番組で興味深い事例が検討された。
「結婚してからも仕事を続けたい」というキャリア志向の女性と結婚した男性が、勝手に仕事を辞めてしまう。というものである。
かつては、女性が結婚を機に仕事を辞めると「寿退社」といって祝福されたものだが、いうなればその「男性版」である。
ところが、これに彼女が激怒する。
「どうして私一人で稼がなきゃならないのよ!?アナタとは離婚よッ!」
この女性の訴えの是非が議題となり、結論から言えば北村弁護士を除く3名が、「妻の訴えは正当である」との見解を示した。
実にこれは恐るべき見解である。妻の訴えを正当とするならば、その根拠として考えられるのは以下の2通りしかない。
1.性別役割分担に反した場合、相手の同意がなければそれは離婚理由になる。
2.「専業」という生き方は、浮気やDVに匹敵する行為であり、そういう選択をしたこ
とが、「婚姻を継続しがたい重大な事由」に該当する。
さて、この3人の弁護士は「男は働け。女は家にいてメシ作ってろ」と言いたいのか?それとも、「専業はクズだ」と言いたいのか?
おそらくそれほど深い考えがあって発言したわけではないだろう。専業主婦が登場する事例はこれまでにもたくさんあったが、その生き方に異議を唱えた弁護士はいない。
(住田弁護士に至っては、4月放送の同番組で、高熱を出して会社を早退した夫に対して、「子供に移るからアナタはカプセルホテルにでも行って頂戴。」と言い放ち、家から閉め出してしまった専業主婦の事例で、「この程度では離婚理由にはならない」と、彼女の弁護をした。)
かと言って、彼らは働く女性を非難する様子も全くないのだ。(住田弁護士は、ご自身が立派なキャリアウーマンである。)
いったいこの先生方は、「視聴者はバカだから適当な見解でも大丈夫」と思っていたのか?それとも、女性を不当に擁護するためならば法の公正などどうでも良いと思っているのか?
前者のほうが腹は立つが、後者のほうがより悪質である。
もしも後者の考えを持った弁護士が法曹界の四分の三を占めているのだとすれば、男性にとってはまさに「恐怖政治」といっても言い過ぎではあるまい。
司法制度に見られる男性差別1
この国の女性優遇振りは立法や行政に留まらない。司法においても、「女性優遇」精神は、
他の二権に対していささかも引けをとっていない。そのような意味においては、わが国の
三権は、見事な三位一体を形成しているのだ。
「行列の出来る法律相談所」という番組をご存知だろうか?一読しただけでは正否が分からない法律上の争いごとについて、4人の弁護士がそれぞれに見解を示す。という内容の、島田伸介氏が司会を務める人気番組である。
ある時、(2006年の初めごろだったと思うが定かではない)同番組で興味深い事例が検討された。
「結婚してからも仕事を続けたい」というキャリア志向の女性と結婚した男性が、勝手に仕事を辞めてしまう。というものである。
かつては、女性が結婚を機に仕事を辞めると「寿退社」といって祝福されたものだが、いうなればその「男性版」である。
ところが、これに彼女が激怒する。
「どうして私一人で稼がなきゃならないのよ!?アナタとは離婚よッ!」
この女性の訴えの是非が議題となり、結論から言えば北村弁護士を除く3名が、「妻の訴えは正当である」との見解を示した。
実にこれは恐るべき見解である。妻の訴えを正当とするならば、その根拠として考えられるのは以下の2通りしかない。
1.性別役割分担に反した場合、相手の同意がなければそれは離婚理由になる。
2.「専業」という生き方は、浮気やDVに匹敵する行為であり、そういう選択をしたこ
とが、「婚姻を継続しがたい重大な事由」に該当する。
さて、この3人の弁護士は「男は働け。女は家にいてメシ作ってろ」と言いたいのか?それとも、「専業はクズだ」と言いたいのか?
おそらくそれほど深い考えがあって発言したわけではないだろう。専業主婦が登場する事例はこれまでにもたくさんあったが、その生き方に異議を唱えた弁護士はいない。
(住田弁護士に至っては、4月放送の同番組で、高熱を出して会社を早退した夫に対して、「子供に移るからアナタはカプセルホテルにでも行って頂戴。」と言い放ち、家から閉め出してしまった専業主婦の事例で、「この程度では離婚理由にはならない」と、彼女の弁護をした。)
かと言って、彼らは働く女性を非難する様子も全くないのだ。(住田弁護士は、ご自身が立派なキャリアウーマンである。)
いったいこの先生方は、「視聴者はバカだから適当な見解でも大丈夫」と思っていたのか?それとも、女性を不当に擁護するためならば法の公正などどうでも良いと思っているのか?
前者のほうが腹は立つが、後者のほうがより悪質である。
もしも後者の考えを持った弁護士が法曹界の四分の三を占めているのだとすれば、男性にとってはまさに「恐怖政治」といっても言い過ぎではあるまい。
第7回
行政にみられる男性差別
大阪市中央区に「ドーンセンター」という施設がある。
地上7階、地下1階のどーんと立派な建物である。(相当にくだらない駄洒落だが、どうやら
本当に命名の理由の1つに「ドーンとこい」というのがあるらしい)
さて、この施設の正式名称は、「大阪府立女性総合センター」という。その名称が示すよう
に、同センターの事業内容は女性向けのものばかりである。
ドーンセンターの事業案内にはこうある。
「ドーンセンターは、あらゆる分野に男女がともに参加、参画し、いきいきと生活できる
社会を実現するために、女性の社会的自立、情報ネットワーク、国際交流、文化表現の拠点
として様々な事業を展開しています。」
ちなみに、具体的には次のような事業を行っている。
1.情報提供(女性関係情報専門)
2.女性の抱える問題に関する相談事業
3.啓発学習事業(女性問題啓発講座、ウイメンズフォーラム等)
4.女性の能力開発ネットワークに関する事業
5.調査研究
6.女性による文化、表現活動の支援
7.女性の国際交流支援
8.協催事業
9.広報事業(「おおさか発女と男の情報誌」の発行等)
10.一時保育事業
男性がほとんど参加できないような事業を数多く展開しながら、「あらゆる分野に男女がともに参加」などというのだから恐れ入る。
毎年3億円を超える経費を府民の税金から賄うために、「男女がともに」という文言をわざわざ入れたのであろうか?と勘ぐりたくなる
ほどである。
思想、信条は個人の自由なのだから別に存在自体を否定はしないが、こういう偏った事業は個人の責任において自分の金でやってもら
いたいものである。府民税を納めているのは何も女性だけではない。
社会的弱者に公的な支援を行うことは、政府や自治体としては正しい姿勢である。受益者と負担者が必ずしも一致する必要はない。
しかし、弱者のフリをしているだけの人間に、こんな手厚い支援をする必要がどこにあるのだろうか?
弱者でもない特定の人間に金をばら撒く余裕があるとは全く羨ましい自治体であるが、それほど金が余っているのなら、その金で
是非本物の弱者を救って欲しいものである。
そのほうが、よほど府民の為になると、私などは思うのだが。
行政にみられる男性差別
大阪市中央区に「ドーンセンター」という施設がある。
地上7階、地下1階のどーんと立派な建物である。(相当にくだらない駄洒落だが、どうやら
本当に命名の理由の1つに「ドーンとこい」というのがあるらしい)
さて、この施設の正式名称は、「大阪府立女性総合センター」という。その名称が示すよう
に、同センターの事業内容は女性向けのものばかりである。
ドーンセンターの事業案内にはこうある。
「ドーンセンターは、あらゆる分野に男女がともに参加、参画し、いきいきと生活できる
社会を実現するために、女性の社会的自立、情報ネットワーク、国際交流、文化表現の拠点
として様々な事業を展開しています。」
ちなみに、具体的には次のような事業を行っている。
1.情報提供(女性関係情報専門)
2.女性の抱える問題に関する相談事業
3.啓発学習事業(女性問題啓発講座、ウイメンズフォーラム等)
4.女性の能力開発ネットワークに関する事業
5.調査研究
6.女性による文化、表現活動の支援
7.女性の国際交流支援
8.協催事業
9.広報事業(「おおさか発女と男の情報誌」の発行等)
10.一時保育事業
男性がほとんど参加できないような事業を数多く展開しながら、「あらゆる分野に男女がともに参加」などというのだから恐れ入る。
毎年3億円を超える経費を府民の税金から賄うために、「男女がともに」という文言をわざわざ入れたのであろうか?と勘ぐりたくなる
ほどである。
思想、信条は個人の自由なのだから別に存在自体を否定はしないが、こういう偏った事業は個人の責任において自分の金でやってもら
いたいものである。府民税を納めているのは何も女性だけではない。
社会的弱者に公的な支援を行うことは、政府や自治体としては正しい姿勢である。受益者と負担者が必ずしも一致する必要はない。
しかし、弱者のフリをしているだけの人間に、こんな手厚い支援をする必要がどこにあるのだろうか?
弱者でもない特定の人間に金をばら撒く余裕があるとは全く羨ましい自治体であるが、それほど金が余っているのなら、その金で
是非本物の弱者を救って欲しいものである。
そのほうが、よほど府民の為になると、私などは思うのだが。